セクハラについての色々
1 セクハラと処分について
セクハラであることと、捕まること、処分を受けることについては大きな壁がある。最も大きな壁は処分の検討をするのは言葉をかけられた人ではなく、その人の上司であり、大抵の企業ではまだまだ男性が大多数を占めるということだ。
2 セクハラの何がいけないか
セクハラと言われるのが面倒なのでセクハラしないようにしようと思っているうちはセクハラはなくならない。
セクハラをしないように気をつけるのは、目の前の人を傷つけないため。
3 イケメンではない、さらに
セクハラをしてしまう人がモテないのは、相手の気持ちを考える方法に変な間違いがあるから。
セクハラをする人が嫌われるのは、相手の気持ちを考えてないから。
4 綺麗な脚ですね、に思うこと
仕事で褒めるべきことがないならば、別に褒めなければいい。外見を褒めることは、仕事を褒めることの代わりにはならない。ただ、本当に仕事で褒めることがないならば、もう少し観察力をつけるべきである。
5 PDCA
その言動が嫌だと言われているのだから、つべこべ言わずに関わり方を見直せばいい。
6 対話をしましょう
「こんな発言まで禁止されると何を話せばいいかわからない。」とか言っている人は、とりあえず相手の話を聴くことから始めるといいと思う。
読書記録: AI vs. 教科書が読めない 子どもたち
AI vs. 教科書が読めない 子どもたち 読了。
私の知る限り、AIとAI技術の違いについて、わかりやすく説明している唯一の本。理論的で読みやすい本でした。
本の趣旨は以下の2点。
①東大くんの取り組みを通した、AI技術の限界についての説明。シンギュラリティは起こらないとのこと。
②RST調査を用いた、"多くの中高生が教科書が読めていない"という事実の紹介。
気になった点が3点。
(1)コンピュータの限界について
AI技術の紹介の中で、コンピュータにできることは、①理論を扱うこと、②統計・確率を扱うこと、の2つしかないと言っている。
しかし、私としては③データを保存して並び変えることが、3個目の機能であると考えている。コンピュータによってできることであっり、論理でも確率・統計でもない。
データを保存して並び変えることができれば、シンギュラリティが起こせるのかと言われると不明だが、もう少し議論は発展するはずである。
(2)東ロボくんのシステムについて
AIのテスト方法にチューリングテストというものがあり、そのテストと妥当性を否定する意見として"中国語の部屋"というものがある。
"中国語の部屋"の思考実験は、外から見るとAIに見えるのに、中の仕組みを知るとAIではないと感じる。そのため、チューリングテストが妥当なのか、妥当でないのかわからなくなる。では、"中国語の部屋"の何が問題なのか。答えは、実現できないことだ。
質疑応答のシステムを考える場合、入力された言葉に対する返答をあらかじめ設定しておくことができないことはよくある。
例えば、「今晩予約可能な新宿のイタリアンを教えて。」という質問に対し、「今晩予約可能な新宿のイタリアンはありません。」と答えた後の「池袋は?」といった質問である。文脈からは、「今晩予約可能な池袋のイタリアンは?」という質問だとわかるのだが、入力された言葉のみからそれを推測するのは辞書だけでは難しい。
今回、東ロボくんがやっていることは、確率・統計を用いて巨大な中国語の辞書を作ろうとしているのに過ぎない。それは、もしできたとしてもバベルの図書館でないと保管できない規模の辞書になるだろう。このアプローチではうまくいかないだろうし、実際にうまいかなかった。
つまり、東ロボくんが東大に入れなかったのは、AIの限界というより、システム設計に失敗しただけではないかと思う。
(詳しいことは、ちゃんと論文を読まないとわからないのだけど、体力ないです。)
(3)AIとRST調査について
問題の説明時にAIの得意・不得意についての説明があった。ただ、実際に受けた結果はのっていない。
本を読むと、東ロボくんはRST調査の推論、イメージ、具体例について、正確に答えることができなかったと推測される。それは、文中で繰り返し、推論、イメージ、具体例がAIにとって苦手な種類の問題であると述べられているからである。にもかかわらず、"東ロボくんのスコア"の章がない。
邪推すると、案外高いスコアを出してしまったために、東ロボくんのスコアの紹介を削らざるを得なくなったのではないかと思う。数学物理のテストができているのであれば、具体例(数学)くらいは解けるとおもうし。
RSTの成績を上げるには世界についてのモデルが必要というのが私の持論。そのために必要なのが、体なのか、他人なのか、両方なのか、それ以外にもあるのかが今の私のテーマ。
家事と仕事の両立
Q 何故、女性にばかり家事と仕事の両立の大変さについて質問をするのか。
A1 家事と仕事の両立が出来ている男性がいないから。
A2 女性が大変であるという状況を聞いて、「それなら男性にはもっと難しいよね。だから出来なくても大丈夫だよね。」と安心したいから。
かける数とかけられる数の覚え方
掛け算の順序を守るべきとか、どっちでもいいとかいう意見があります。個人的にどうとかいう意見は置いておいて、掛け算の順序について間違えにくい覚え方がわかったのでメモ。
覚え方
単位を書くときに、割合はA/Bのように横に書く。その上で、同じ単位の文字が近くに来るように数字の順序を調整する。
例えば、二つの数の掛け算の、一方の単位がA/B、もう一方の単位がBなら、
A/B× B ならBとBが近い。
B × A/BだとBとBが遠い。
ので、A/B× B にする。
例1 10km/時で、6時間走ったら何km進むか。
10×6 → 単位に注目すると km/時間 × 時間で、両方に出てくる"時間"が近い
6×10 → 単位に注目すると 時間× km/時間て、両方に出てくる"時間"が遠い
よって10×6が丸がもらえる。
例2 1個200円のケーキを4個買うと、何円になるか。
注意するのは、1個200円とあることから、ケーキの価格の単位は円ではなくて円/個であること。
200×4→単位に注目すると、円/個×個で、両方に出てくる"個"が近い
4×200→単位に注目すると、個×円/個で、両方に出てくる"個"が遠い
よって 200×4が丸がもらえる。
例 3 丸の個数の求め方を図を描いて求めなさい。
○○○○
○○○○
○○○○
図
○|○|○|○
○|○|○|○
○|○|○|○
1列に3個並んでいるのが4列ある。
3×4 → 単位に注目すると、個/列×列で、両方に出てくる"列"が近い
4×3→単位に注目すると、列×個/列で、両方に出てくる"列"が遠い
上の図を描くと、3×4で丸をもらえる。
では、なぜ出てくる単位が近いものを近くに置くかというと、その方が間違えにくそうだからだと思う。
次の問題を考える。
例4 4人の人がいる。1チームにお菓子を3個配る。お菓子は全部でいくつ必要か。
4×3→単位に注目すると、人×個/チーム
3×4→単位に注目すると、個/チーム×人
単位に注目した時に、個/チーム×人の方が単位が揃っていないことに気がつきやすい気がします。
なので、計算の順序を重視してるのは、単位の不整合を減らすための取り組みなのかと思います。
"意識高い系"につける薬
"意識高い系につける薬はない"とかいう記事が東洋経済にのっている。
着眼点は面白いのに、自分の経験と一般論を分離できなくてつまらない記事になっているので補足してみる。
http://toyokeizai.net/articles/-/194446?display=b
作者の持論はこうである。
①意識高い系はアピールしやすい楽な仕事しかしないから役に立たない
↓
②アピールしやすい仕事をするのは、人からすごいと言ってもらって承認要求を得るためである。
↓
③承認要求を得たいのは、青春してたころ(主に高校時代)のスクールカーストが低く、承認要求を得られなかったからだ。
↓
④スクールカーストが低い理由は、容姿がよくなかったか、社交性がなかったからだ。
①→②は、特に問題ない。一般的な仮説としては妥当と思われる。
お金のためにアピールしやすい仕事をすることもあるが、その場合は、意識高い系とは言われないと思うので除外する。
②→③が問題である。承認要求は、別に、青春時代のクラス内でしか満たせないものではない。
両親から十分に承認要求をうけていれば、スクールカーストから外れた世界ででも生きていける。スキルや能力や努力を先生や友人やクラスメイトに認めてもらうことで承認してもらえたと感じる人もいる。
要は、大切なのは承認要求をうけているか否かであり、スクールカースト(ましてや容姿)などは些細なものなのである。
なので、逆を言えば、仕事を褒めることで承認要求を満たしさえすれば、意識高い系の人も過度なアピールを求めなくなる。
仕事を任せ、できるようになると信じてフォローやアドバイスや説明を行い、できたことがあればこまめに褒める。そうやって"承認すること"こそが私の考える意識高い系につける薬である。
読書記録:闇金ウシジマくん フリーエージェントくん編
底辺さんのブログで、大前研一さんについてのエントリがある。
このエントリでは、自らは小前研一となり、小前研一に憧れる小小前研一を集め、小小前研一たちからのお金で儲けを得るという儲け方を紹介している。フリーエージェントくん編は、上のエントリのよい事例になっている。
以下、ネタバレと考察。
初め、村上は小小前研一になろうとする。そのために高いお金を出して天生塾に入り、様々な商材を大金を出して買い、ひたすら小前研一である天生翔に貢ぐ。
村上の転機は、天生の真似をすればお金が儲かると気がついたとき。このとき、村上は小小前研一から小前研一にランクアップし、地元のヤンキーを小小前研一として貢いでもらえる側になった。
この小前研一メソッドが人を幸せにしにくい理由は小前研一が売っているのは小前研一の真似をする方法でしかないことである。小前研一の真似をする方法と、何かを組み合わせられない場合、再度売ることができるのは村上のように小前研一の真似をする方法だけであり、ネズミ講と大差ない構造になっている。
逆に、何か売るものがある場合、小前研一の真似をする方法には、費用対効果は不明だが、価値がある。また、他人に売るものと小前研一の真似の仕方を組み合わせて教えられるなら、それは真っ当なコンサル業である。
村上が苦しむのは、売るものを持っておらず、また、売るものが必要であるという事実に気がついてないからである。そして、小前研一の真似をする方法に売る価値があると気付いたことで小前研一となり、最終的には別の売りものを見つけることで小前研一と小小前研一を生み出す輪から外れることができた。
元のエントリに戻ると、小小前研一になるよりは小前研一になる方がいい。また、人を幸せにしたいなら、小前研一の真似をする方法以外を売れるとよいということである。
読書記録:自分の時間を取り戻そう
自分の時間を取り戻そう
ちきりん
要点は3つ
・自分の時間を取り戻すには生産性(成果/必要資源)を向上させることが大切
・特に成果についての重み付けが大切。重み付けを間違うと、不要なものに資源を割り当てることになって、生産性が下がる。
・人工知能で奪われる仕事は、人工知能で生産性が桁違いに上げられる仕事。
本当に必要でない仕事はやらないという意見はアドラー的な考えとして、作業の効率化のために、手を動かす速度を上げるのではなく生産性を高める方法を考えるというのは強化学習の考え方として、それぞれ納得。
生産性を上げる方法については、とりあえず時間を制限すればいいって考え方が紹介されていたけど、それは批判したい。
なんだかんだ、生産性の向上には知識と教育と見える化された指針が必要だと思うのです。そしてそれを揃えるには結構な時間と人と知識が必要なのです。それでも生産性をあげるのは大事なのは変わらないのですが。
ということで、生産性をあげる場合には制限時間の他に明確な指針か目的か夢を掲げるといいと思います。