白色黒猫の日記

ものをかくことの練習をふくめた日記。

"意識高い系"につける薬

"意識高い系につける薬はない"とかいう記事が東洋経済にのっている。

 

着眼点は面白いのに、自分の経験と一般論を分離できなくてつまらない記事になっているので補足してみる。

 

http://toyokeizai.net/articles/-/194446?display=b

 

作者の持論はこうである。

 

①意識高い系はアピールしやすい楽な仕事しかしないから役に立たない

②アピールしやすい仕事をするのは、人からすごいと言ってもらって承認要求を得るためである。

③承認要求を得たいのは、青春してたころ(主に高校時代)のスクールカーストが低く、承認要求を得られなかったからだ。

スクールカーストが低い理由は、容姿がよくなかったか、社交性がなかったからだ。

 

①→②は、特に問題ない。一般的な仮説としては妥当と思われる。

お金のためにアピールしやすい仕事をすることもあるが、その場合は、意識高い系とは言われないと思うので除外する。

 

②→③が問題である。承認要求は、別に、青春時代のクラス内でしか満たせないものではない。

両親から十分に承認要求をうけていれば、スクールカーストから外れた世界ででも生きていける。スキルや能力や努力を先生や友人やクラスメイトに認めてもらうことで承認してもらえたと感じる人もいる。

要は、大切なのは承認要求をうけているか否かであり、スクールカースト(ましてや容姿)などは些細なものなのである。

 

なので、逆を言えば、仕事を褒めることで承認要求を満たしさえすれば、意識高い系の人も過度なアピールを求めなくなる。

仕事を任せ、できるようになると信じてフォローやアドバイスや説明を行い、できたことがあればこまめに褒める。そうやって"承認すること"こそが私の考える意識高い系につける薬である。

 

 

 

読書記録:闇金ウシジマくん フリーエージェントくん編

底辺さんのブログで、大前研一さんについてのエントリがある。

 

 

このエントリでは、自らは小前研一となり、小前研一に憧れる小小前研一を集め、小小前研一たちからのお金で儲けを得るという儲け方を紹介している。フリーエージェントくん編は、上のエントリのよい事例になっている。

 

以下、ネタバレと考察。

 

  初め、村上は小小前研一になろうとする。そのために高いお金を出して天生塾に入り、様々な商材を大金を出して買い、ひたすら小前研一である天生翔に貢ぐ。

 村上の転機は、天生の真似をすればお金が儲かると気がついたとき。このとき、村上は小小前研一から小前研一にランクアップし、地元のヤンキーを小小前研一として貢いでもらえる側になった。

 

この小前研一メソッドが人を幸せにしにくい理由は小前研一が売っているのは小前研一の真似をする方法でしかないことである。小前研一の真似をする方法と、何かを組み合わせられない場合、再度売ることができるのは村上のように小前研一の真似をする方法だけであり、ネズミ講と大差ない構造になっている。

 逆に、何か売るものがある場合、小前研一の真似をする方法には、費用対効果は不明だが、価値がある。また、他人に売るものと小前研一の真似の仕方を組み合わせて教えられるなら、それは真っ当なコンサル業である。

 村上が苦しむのは、売るものを持っておらず、また、売るものが必要であるという事実に気がついてないからである。そして、小前研一の真似をする方法に売る価値があると気付いたことで小前研一となり、最終的には別の売りものを見つけることで小前研一と小小前研一を生み出す輪から外れることができた。

 

元のエントリに戻ると、小小前研一になるよりは小前研一になる方がいい。また、人を幸せにしたいなら、小前研一の真似をする方法以外を売れるとよいということである。

 

 

 

読書記録:自分の時間を取り戻そう

自分の時間を取り戻そう

ちきりん

 

要点は3つ

・自分の時間を取り戻すには生産性(成果/必要資源)を向上させることが大切

・特に成果についての重み付けが大切。重み付けを間違うと、不要なものに資源を割り当てることになって、生産性が下がる。

人工知能で奪われる仕事は、人工知能で生産性が桁違いに上げられる仕事。

 

本当に必要でない仕事はやらないという意見はアドラー的な考えとして、作業の効率化のために、手を動かす速度を上げるのではなく生産性を高める方法を考えるというのは強化学習の考え方として、それぞれ納得。

 

生産性を上げる方法については、とりあえず時間を制限すればいいって考え方が紹介されていたけど、それは批判したい。

なんだかんだ、生産性の向上には知識と教育と見える化された指針が必要だと思うのです。そしてそれを揃えるには結構な時間と人と知識が必要なのです。それでも生産性をあげるのは大事なのは変わらないのですが。

 

ということで、生産性をあげる場合には制限時間の他に明確な指針か目的か夢を掲げるといいと思います。

 

戦術@ジェスチャー伝言ゲーム

ジェスチャー伝言ゲームにおいて、情報の伝え方には2つの取りうる戦術がある。1つはモノマネ戦術で、もう一個は決めつけ戦術である。

 

モノマネ戦術は、前の人のやったことをできる限り真似する方法である。前の人が頭の近くで片手を上げて手を開いたり閉じたりしていた場合、自分もできる限りその動作を真似て、頭の近くで片手を上げて手を開いたり閉じたりする。

 

決めつけ戦術は、自分の中で前の人の答えを決めつけ、自分なりのベストな伝え方でその答えを提示する戦術である。前の人が頭の近くで片手を上げて手を開いたり閉じたりしていた場合、それが腹話術だと思ったら、次の人には腹話術を伝えるには何が大切かを考え、例えば大げさな口パクを追加して頭の少し下で手を開いたり閉じたりするのである。

 

どちらの戦術を採用するかについて、自分が相手の意図を読み取れなかったと感じた場合はモノマネ戦術を、意図を読み取れたと思う場合は決めつけ戦術をとる場合が多いと感じる。

 

しかし、私としては全ての人が決めつけ戦術を採用すべきであると感じる。

理由は3つある。

1つ目 モノマネ戦術を続けると、情報が劣化しやすい。

人間は、他人の動作を完全に真似することはできない。どうしても受け取る人の重要度のフィルタによって情報が削除されていく。決めつけ戦術であれば、答えが一致していれば情報が復活することもあり得る。

 

2つ目 モノマネ戦術は読み取る時点の負荷が大きい

モノマネ戦術は、相手が何をしているかを考えず、ひたすら相手の動作を覚えて実行する戦術である。そのためには、できる限り前の人の動作を覚える必要がある。また、前の人が困った顔や試行錯誤している場合、それが伝達のための動作で次の人に対して示すべき動作なのか、試行錯誤の動作なので次の人に示さなくてもよい動作なのかを判断しないと行けなくなる。そして、たいていの人は示すべき動作を示さなくていい動作とし、示さなくていい動作を示すべき動作としてしまうのである。

 

3つ目 決めつけ戦術の方が参加している感じが出る。

全員がモノマネ戦術をとった場合、ジェスチャーを考えることができるのは先頭の人間だけである。それ以外の人は前の人の動作を真似するだけで、自分なりの創意工夫を入れる余地は少ない。強いて言えば情報のフィルタリング方法に工夫の余地がある程度である。

それに対し、決めつけ戦術であれば、よりよく伝え方法を考えることができる。前の人がやってなかった動作であっても、その動作が本質をつかんでいると思えば自分の意思で動作を付け加えることができる。そこには工夫する楽しさが存在するのである。

また、決めつけ戦術では自分に、自分の中での回答をする権利が与えられる。答えを聞くときに、自分の思っていたものが当たっていたか、違っていたかを楽しむには、前の人の動作から答えを推測するしかないのである。

 

そういう理由で私は決めつけ戦術を推奨する。

これは仕事にも応用できる。大事なのは人から言われたことや、人がやっている動作をひたすら真似ることではなく、それぞれの動作や仕事がどういう意味を持っているかを考え、その考えを実践できる方法を考えることが重要なのである。

 

とわ言いつつも、そもそも論を考えると、仕事を行う上で本当に大切なことはできるだけ伝言ゲームになる環境を作らないことである。それができるだけの環境は今のITの時代であれば、致命的に難しいことではないはずなのだ。

 

なお、例に出したジェスチャーゲームのお題は信号機です。

 

 

 

 

GDPと人口と国土面積

日本は人口が多い。

 

アメリカ 3億は別としても、

ロシア 1億4,000万

イギリス 6,500万

フランス 6,500万

ドイツ 8,000万

韓国 5,000万

と、先進国の中では多い方。

 

首都圏だけでも3,700万人と、カナダ(3,500万)やオーストラリア(2,400万)なんかよりも多い。

 

最近、少子化が問題になっているけど、他の国を見ると、まだ人口は減っても大丈夫なんじゃないかと感じます。どう減らすかは問題になると思いますけど。

 

 

 

少なくとも寛容ではない。

日本人は宗教に寛容!

初詣は神社に行って、クリスマスもお祝いして、結婚式は教会だし、葬式はお寺さんをよびます。ほら寛容。

 

だからと言って、イスラム教徒の人が、ハラル食の給食を求めるのは、なんか違う気がする。ハラル食の給食を提供するにはコストがかかるし。宗教の戒律っていっても、食べても死なないんでしょ?不満なら弁当を持ってくればいいじゃない。それくらいなら許可するよ。

 

 

ユダヤ教の人が、安息日なんで金曜日の午後は休みを下さいってのも、なんか違うよね。それならそういう会社に初めから入ればいい。

会社はチームプレーが必要なんだから、仕事を効率的に回すには、みんなが揃う時間ができるだけ長い方がいいの。個人のわがままでみんなに迷惑をかけるのは良くないんじゃないかな。ここは日本なんだし、郷に入っては郷に従えって言葉もあるし、少しくらい譲歩して、金曜日の午後も働くようにしてもいいんじゃない?

 

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書いてて死にたくなりました。嘘です。案外ノリノリでした。

 

寛容の意味が、理解し受け入れるということならば、上の態度は宗教について何も理解してないし、拒否してないだけで受け入れてもないので、寛容とは言えない。

 

寛容であるということの意味が、相互の利益に関係しない、赤の他人の宗教に文句を言わないという文脈で用いられているのであれば、それを意味する言葉は、少なくとも寛容ではない。

てきとーに生きるために大切なこと

てきとーに生きるのは難しい。

 

どこまで手を抜いていいかをちゃんとわかっていないと、大事なところで周りに迷惑をかける。そうなると周りからのチェックが厳しくなるので、てきとーがやりにくくなる。

 

てきとーをするには、どこを押さえないといけないかをしっかりと知っておく必要があるのである。